自啓録/ある海軍兵学校生徒の青春

戦時下の海軍兵学校に75期生として入学した父が、敗戦とともに卒業するまでの日々を綴った「自啓録」とよばれる日記をもとに、一海軍兵学校生徒の青春をふりかえります。

(2) 昭和18年12月2日

 

 

苦しいが

貴様男だ頑張れと

我が肩なでぬ二号生徒(※最上級生である一号生徒の一学年下)

 

猛烈果敢な起床動作・就寝動作(巡検直前)後、我に「一号生徒はよくどなるが実は皆やさしい人ばかりだから元気でやれよ」とそっと毛布を当番の二号生徒が掛けてくれる。

涙のでる思いだ。

 

 

(注)原文を一部現代語訳に、旧字体新字体に直して掲載しています。また意味のわかりにくい言葉はカッコ書き※で注釈をつけ、原本にて判別のつかない文字は ● として表記しています。

 

(1) 昭和18年12月1日

この日の天気は晴朗。

憧れの短剣・錨帽第一種軍装に身を固め晴れの入校式に臨んだ。

 

ああ、この日は実(まこと)に我が一生の元旦ではないだろうか。

 

世に一年の計は元旦に在りとか、我に於いては一生の計は元旦に在り。

人生二十五年であると観ずれば(※冷静にみれば)余生七年、一日たりともなおざりにしてはならない。

 

大丈夫(※勇気のある強い男)たるもの、誰かが奮起しなければ。

 

そう、我もまたやらねば、やらねば。

 

それは大君(※おおきみ;天皇の尊称)のため、悠久の大義に生きるため。

 

午前九時、我らは七十五期海軍兵学校生徒を命じられた。

感激で全身が打ち震えた。

 

次に賀陽宮治憲王殿下のご紹介があられた。

畏れ多いことこの上なく、我ら臣下(※君主に仕える者、この場合は天皇に仕える者)たるものの感激はどれほどのものだろうか。

 

次に大講堂に入り大元帥陛下の御前に「臣必ずや大君の忠良なる股肱(※ここう;頼りになる部下)となり●下の大任にお応え奉る」と奏上した。

 

次いで九一〇分隊編入宣誓●を分隊監事 西脇三行海軍少佐より宣言があった。

分隊監事自習室を出ていかれるや、一号生徒(※最上級生)、伍長、亀井生徒が出身県 出身校 姓名申告をしろと言われる。

 

その前に上級生徒の紹介があったが鼓膜が破れるかと思われるほど手荒い大声だった。まず驚かされた。

 

遂に我が番になった。

我は命の限りを尽くして大声をだしたがやり直すこと三度。

 

我が自習室の机の中に一通の手紙があった。

ああ嬉しい、誰だろうと胸をはずませて見ると恩師平賀先生からだった。

曰く「入校式の決心でイノチの限りをつくして頑張れ。入校教育期間は兵学校生活中最も苦しいときだ。誰でも苦しかったのだ頑張れ。一分の時間をも惜しめ。それは陛下から賜った時間だから」と。

 

よし、我も男だ。

何事にも死力を尽くしてやろう。

 

 

(注)原文を一部現代語訳に、旧字体新字体に直して掲載しています。また意味のわかりにくい言葉はカッコ書き※で注釈をつけ、原本にて判別のつかない文字は ● として表記しています。