自啓録/ある海軍兵学校生徒の青春

戦時下の海軍兵学校に75期生として入学した父が、敗戦とともに卒業するまでの日々を綴った「自啓録」とよばれる日記をもとに、一海軍兵学校生徒の青春をふりかえります。

2019-01-01から1年間の記事一覧

(9) 昭和18年12月9日

「 俯仰天地に愧じない(※ふぎょうてんちにはじない;かえりみて自分の心や行動に少しもはじるところがないこと)人間たれ」 これだけが人を正しく導くものである。 生も常に心の一隅に持っていたいものである。 (注)原文を一部現代語訳に、旧字体は新字体に…

(8) 昭和18年12月8日

たとえこの日 大東亜戦●年日に当たるといえども我らの日課に変わることはない。 淡々とした平日課業。 初雪寒い。 (注)原文を一部現代語訳に、旧字体は新字体に直して掲載しています。また意味のわかりにくい言葉はカッコ書き※で注釈をつけ、原本にて判別…

(7) 昭和18年12月7日

マーシャル群島沖航空戦の戦果を聞いた。 生等(※せいら;自分達学生という意味)の先輩は命壮絶な戦を続行中である。 豈(※あに;どうして)凡夫(※ぼんぷ;凡人)奮起しないことがあろうか。 (※ここの文意はつまり、”いや、奮起するぞ”ということ) (注…

(6) 昭和18年12月6日

第六次ブーゲンビル島沖航空戦の戦況を聞いた。 戦は今、真最中である。 我は唯 当面の事にのみ全力を尽くさん。 (注)原文を一部現代語訳に、旧字体は新字体に直して掲載しています。また意味のわかりにくい言葉はカッコ書き※で注釈をつけ、原本にて判別の…

(5) 昭和18年12月5日

「大いなる気持ちをもて。小さい事に心を動かすな」 と起床動作で三号生徒(※最下級生)がどなられて二号生徒(※最下級生の一学年上)のおっしゃったことが了解できかけた。 そして一号生徒(※最上級生)がどなることも暫くして了解できかけた。 そうなのだ、如何…

(4) 昭和18年12月4日

柴田教官より滅私奉公について訓話あり。 曰く「自己の犠牲で済むようなことなら当然そうすべきである」と。 本日、「棒倒し」があった。 三号(※最下級生)は見学であった。 壮烈愉快だった。 (注)原文を一部現代語訳に、旧字体は新字体に直して掲載してい…

(3) 昭和18年12月3日

一号生徒(※最上級生)は恐ろしい。 二号生徒(※最上級生の一学年下)はやさしい。 しかし一号生徒も本当は親切なのだろう。 (注)原文を一部現代語訳に、旧字体は新字体に直して掲載しています。また意味のわかりにくい言葉はカッコ書き※で注釈をつけ、原本に…

(2) 昭和18年12月2日

苦しいが 貴様男だ頑張れと 我が肩なでぬ二号生徒(※最上級生である一号生徒の一学年下) 猛烈果敢な起床動作・就寝動作(巡検直前)後、我に「一号生徒はよくどなるが実は皆やさしい人ばかりだから元気でやれよ」とそっと毛布を当番の二号生徒が掛けてくれる。 …

(1) 昭和18年12月1日

この日の天気は晴朗。 憧れの短剣・錨帽第一種軍装に身を固め晴れの入校式に臨んだ。 ああ、この日は実(まこと)に我が一生の元旦ではないだろうか。 世に一年の計は元旦に在りとか、我に於いては一生の計は元旦に在り。 人生二十五年であると観ずれば(※冷静…